法華経あらすじ

第1:序品(じょほん)

 お釈迦さまは当時の北インドの中心であるマガダ国の首都、おうしゃじょうの近くの、りょうじゅせんというお山にいました。多くの弟子たち、信者たち、多くの菩薩たち、たいしゃくてんぼんてんなどの多くの神様たち、八大竜王をはじめ人の姿ではない神達と多くの配下、王や王族、その従者たちに、りょうきょうという教えを説かれ、深い瞑想に入られました。瞑想されている時に、天から天上の花々が降りそそぎ、大地は震え、お釈迦さまの額から出た光が世界中を照らし出し、映し出された人々神々菩薩たちは、より高い覚りを得ました。驚いたろく菩薩は、この仏の起こす奇跡は、何の吉祥なのかともんじゅ菩薩に尋ねました。

 文殊師利菩薩は、お釈迦さまが未だかつてない有難いお教えを説かれる所です。と答えられました。

 

第2:方便品(ほうべんぽん)

 瞑想を終えたお釈迦さまは語り出しました。「これから説く教えは、計り知れない程奥が深い。また、とても理解し難く、その教えの門に入る事は難しい。(難解難入なんげなんにゅう舎利弗しゃりほつ(智慧第一といわれる、お釈迦さまのお弟子)よ、理解できない教えを説いても混乱するだけであろうから、この教えを説く事は止めようと思う。」舎利弗は説いて頂けるよう請願しては断られ、三度目の請願によって、ついに説いて下さるとおっしゃられました。このように言われた時、五千人の人々が立ち上がり去っていきました。自分は覚りをすでに得ていると勘違いし、驕った人々(増上慢ぞうじょうまん)で、最高の教えを受ける心の準備ができていない人々でした。お釈迦さまは彼らが去るのを黙って見届け、残った、この教えを聞きたいと一心に願う者達に説き始めました。

 この教えは、仏が生まれるときに一度だけ咲く優曇華うどんげの花の様に出会うことが難しい。その教えを説く諸仏は生きとし生ける者に仏の正しい智慧を示し、悟らせ、導くために存在している。この智慧は生きとし生ける者すべてに平等に与えられ、身分や男女などの差別はない。その中で、自分だけではなく、他の者も共に成仏しようと考える者にこの教えを説くのだ。

 

第3:譬喩品(ひゆほん)

 前章方便品で最高の教えを説いて下さったお釈迦さまに、舎利弗しゃりほつ(智慧第一といわれる、お釈迦さまのお弟子)は大いなる喜びと心からの感謝の意を述べました。

 お釈迦さまは、「何度もの生まれ変わりを経て、お前たちに仏道を志させるよう導いてきた。生まれ変わってもその志を忘れぬよう、妙法蓮華経を説くのだ。舎利弗よ、お前は未来世において、華光如来けこうにょらいという仏になるであろう。」と、将来仏に成る事を予言し保証した。(授記じゅき

 舎利弗は再び感謝の意を述べ、未だ初めて聞く法華経に驚き戸惑っている信者の為に、お釈迦さまに更に詳しく説いて下さいとお願いしました。

 そこでお釈迦さまは(法華七喩三車火宅さんしゃかたくの譬えで説きました。とある長者の大邸宅が火事になりましたが、子供たちはそれに気付かず、遊び続けていました。説得にも応じないので、子供が欲しがっていた羊、鹿、牛がそれぞれ引く立派な車を用意し、外にあるから自由に遊びなさいと言いました。無事に火宅を逃れた子供たちに、長者はそれぞれ一番立派な牛の車(大白午車だいびゃくごしゃ)を与えました。

この火宅は苦しみの多いこの世界そのもの、長者は仏(お釈迦さま)、子供たちは衆生、三車は方便の教え、大白午車は妙法蓮華経を示し、別の方法で覚りの道を示し、その道に入ったものに法華経を説いたことを説き示しました。

 

第4:信解品(しんげほん)

 須菩提しゅぼだい摩訶まか迦旃延かせんねん、摩訶迦葉かしょう、摩訶目腱連もっけんれんたち(それぞれお釈迦様の高弟)は、最高の教えが説かれた事、舎利弗しゃりほつが授記を受けた事に喜び、感謝の意を述べ、さらにこの思いがけず有難いお教えを得たことを、(法華七喩長者窮子ちょうじゃぐうじたとえをもって例えました。

 ある人が幼い時に父を捨て別の国に移り住み、50年経った。大人になったが貧しく、食や衣服を求め四方をさ迷い、偶然生まれ故郷にたどり着いた。父は子を探し続けていたが見つけられず、その町に留まっていた。その家は栄え、大長者になっていた。子は職を求め父の元へやってきたが、あまりの立派さに恐れをなして逃げてしまった。気付いた父は子を呼び戻そうとしたが、子は長い放浪生活で心が貧しくなり、父に気付かずただ恐れおののくばかりであった。父は悟り、あえて父とは名乗らず、子に汚物掃除の仕事を与えた。自ら汚い服を着て変装し、子に近づき親しく接した。20年の月日が過ぎ、父に死期が迫って初めて、父であることを子に告げ、その財産の全てを相続させた。この父とは仏(お釈迦さま)、子とは衆生、財産は法華経を

示し、常に最高の教えに導きたいと願っているが、一度受け入れられる状況を作ってから法華経を説いた事を示しています。

 

第5:薬草喩品(やくそうゆほん)

 前章信解品第四で迦葉かしょうが語った長者窮子ちょうじゃぐうじたとえを聞いて、お釈迦さまはその通りであると褒めたたえた。

 さらに仏の説く教えは、全ての教えの王であり、例え便宜の為、遠回りするようなことがあっても、全ては仏の最高の智慧へたどり着くのです。と話されました。

 そして(法華七喩三草二木さんそうにもくの譬えで、受け手によって、教えがどれほどの実になるかは違えども、教えが皆に平等に説かれる事を示されました。

 この世界に生える草木は様々な種類があるが、大雲が大地を覆い、世界に雨を降らせたとき、大きな木でも、小さな木でも、大中小の草でも、その水の恵みを得る事が出来、草木の素質によって成長し、葉を茂らせ、花を咲かせ、実をならせる。如来もまた同じである。如来が世界に現れる事は、大雲が現れるようなものである。大音声で世界に教えを説くことは、この世を覆う大雲が雨を降らすようなものである。

小草とは人や神々、中草とは声聞縁覚、大草とは菩薩、小樹大樹とは更に悟りを深めた菩薩のことである。大樹も小草も同じように恵みの雨の恩恵を受けるが、それぞれの到達する高さも違えば成長の仕方も違うようなものである。草木は自分が大木か小草は知らないが、等しく恵みの雨の恩恵を受けることが出来るのです。

 

第6:授記品(じゅきほん)

 前章の薬草喩品を説き終わると、大迦葉だいかしょうが未来世において光明こうみょう如来という仏と成るであろうとの、予言と証明(授記じゅき)を与えました。(大迦葉は十大弟子のひとりで頭陀ずだ第一。お釈迦さまの死後、後継(第二祖)として教団をまとめ、経典をまとめる会議の座長も務めた)

 さらに須菩提しゅぼだいも未来世において名相みょうそう如来という仏に成るであろうと授記を与えました。(須菩提は十大弟子のひとりで解空げくう第一・無諍むじょう第一。“空”という何物にもとらわれないという考え方をよく理解していること、言い争いをしないことにおいて弟子の中で随一であった)

 そして大迦旃延だいかせんねんも未来世において閻浮那提金光えんぶなだいこんこう如来という仏になると授記を与えました。(大迦旃延は十大弟子のひとりで、論議第一。子供のころから聡明で一度聞いたことは忘れず、理解したが、お釈迦さまの教えは理解し難く、何度も教えを乞いた。)

 それから大目腱連だいもっけんれんも未来世において多摩羅跋栴檀香たまらばつせんだんこう如来という仏に成ると授記を与えました。(大目腱連は目連もくれんとも言い、十大弟子のひとりで神通第一。舎利弗しゃりほつと共に二大弟子とも称される。神通力で餓鬼界に堕ちている母見つけ、神通力で助けようとしたが、助けられず、お釈迦さまの助けにより、餓鬼界全体を供養することで母を救うことが出来たという、盂蘭盆うらぼんの逸話が有名)

 

第7:化城喩品(けじょうゆほん)

 遠い遠い昔、大通智勝だいつうちしょう如来という仏がいました。この仏には16人の王子がいて、父が悟りを完成したと聞き、参集し、同じく参集した十方の梵天王ぼんてんのうたちと共にこの教えを説き給えと請願しました。如来はこの誓願を受け、人々に法を説き、数えきれない人々が煩悩から解放されました。

 16人の王子は出家し、妙法蓮華経を如来から説かれ各地で法を説いていました。この仏国土から東北方で法を説いていた16番目の王子が我、釈迦牟尼仏しゃかむにぶつなのです。

 法華経は信じ難く入りがたい。この経ではなく、己のみの心の平安で満足してしまう者がいた。過去世で教化していた、今聞いているお前たちである。自分の為の教えではなく他者の為の教えでなくては完全な覚りを得ることはできない。

 (法華七喩化城宝処けじょうほうしょたとえで例えるならば、前人未踏の険路の先の宝を得ようとする聡明なリーダーが率いる一行がいた。旅路の半分を過ぎたころに一行は疲れ果て、引き返そうとすが、リーダーは神通力で城を作り出し、この城で一休みすると良いという。ここで休みを取り英気を養ったのを見計らい、幻の城を消して、「出発だ、宝は近いぞ。あの城は休ませるために作り出した仮の城だ」と。如来も同じである。仏の道のりは険しく長い。導く為の手立てとして第二の平安(自分の為の教え)を説くのだ。神通力で作られた大きな城で休息を終えた者に法華経(他者の為の教え)を説くのだ。

 

第8:五百弟子受記品(ごひゃくでしじゅきほん)

 富楼那ふるな(十大弟子のひとり。説法第一。)が喜び、礼拝したとき、お釈迦さまは、信者たちに説きました。

 「この富楼那は、仏の代わりに多くの者を教化してきた。私の元でその説法は第一であり、過去世や未来世においても第一である。彼は遠い未来世において、法明ほうみょう如来という仏に成るであろう。」と授記じゅきを与えました。

 さらに、阿若憍陳如あにゃきょうじんにょ(釈迦の最初の弟子、五比丘ごびくの一人で、そのリーダー的人物。)も未来世において普明 ふみょう如来という仏に成ると授記を与えました。また、五百人の阿羅漢あらかん達と、三迦葉さんかしょう阿那律あなりつ(十大弟子のひとり。天眼第一)ら11人の高弟達も皆同じく普明如来という仏に成ると授記を与えました。五百人の阿羅漢達は、(法華七喩衣裏繋珠えりけいじゅたとえをもって喜びを述べました。

 ある貧乏な男が金持ちの親友の家で酔って寝てしまった為、急な外出の際、親友は男にあげるつもりで襟に宝珠を縫い込んで黙って出かけた。男は気付かず貧乏を続け、その日暮らしに満足していたが、再開した親友から襟の宝珠を知った男は、これを得る事が出来た。

 親友は仏、男は二乗(仮の教え)で満足していた信者、宝珠は法華経を示し、すでに法華経という宝を得ている事に気付かず、二乗の教えで満足していたが、やっと真実の教えを得ることが出来たという事を表しています。

 

第9:授学無学人記品(じゅがくむがくにんきほん)

 お釈迦さまは阿難あなん(十大弟子のひとりで多聞第一。片時も離れずお釈迦さまに付き従った)に未来世において山海慧自在通王さんかいえじざいつうおう如来という仏に成ると授記じゅきを与えました。その当時阿羅漢あらかん(僧として最高の聖者の位)の位も得ていない阿難が授記を受けるのは稀有けうな事であったが、阿難は自身の誓願の通り、常に仏の言葉を多く聞き、その教えを護って、雑念を払い一心に仏道修行に励んだ為、最高の智慧を得る。その智慧で諸々の菩薩を導き、衆生を救済するからである。

 また、羅睺羅らごら(お釈迦さまの実子で十大弟子のひとり。密行第一。)にも、彼がお釈迦さまの初めての子であったのと同様に、常に諸仏にとっての初めての子になるだろう。これが過ぎ去って後に最上の智慧を得るだろう。と、未来世において蹈七宝華とうしっぽうけ如来という仏に成ると授記を与えました。

 そして未だ学ぶ余地を残す者と、すで学び尽くし学ぶ余地のない境地の二千人の弟子に、数えきれないほどの諸仏を供養し、その諸仏の教えを大切に護った最後の生において、皆同一の名で宝相ほうそう如来という仏に成ると授記を与えました。

 

第10:法師品(ほっしほん)

 お釈迦さまは薬王やくおう菩薩におっしゃられた。どのような者であっても、法華経の一句でも聞いて、一瞬でも喜ぶ者は、未来世の成仏を証明する授記じゅきを与える。経典を恭しく敬う者は、仏の使いである。未来世において成仏する者はこのような者である。法華経を読むものをそしる者は、仏を謗る者より罪が重い。経巻は仏そのものであるから、経巻を置くところには、仏の遺骨がなくとも七宝しっぽうの塔を建てなさい。この塔を礼拝、供養する者、法華経を見、聞き、読み、書き写し、供養する者は、仏の智慧を得るのに程近い者だ。

 これは井戸掘りに似ている。初めは乾いた土が出て、徐々に湿った土や泥が出始めるまでは、先が長いと感じる。菩薩もこれと同じである。法華経を聞く機会のない者は、仏の智慧から遠い。法華経を聞き、理解し、よく考え、修める事の出来る者は仏の智慧に近い。

 また法華経を説く者は大慈悲の心を持ち、柔和で忍耐強く、固執しないよう心がけ、常に怠ることなく広く法華経を説きなさい。私は使いを出し、聴衆を集めよう。人里離れた場所で修行しているのならば、天人、龍、鬼神、獣神などを遣わし、説法を聞かせよう。経句を忘れるようなことがあっても、私が助け、身に付けさせよう。

 

第11:見宝塔品(けんほうとうほん)

 仏の前にとても巨大な、無数の宝石などで非常に美しく飾られた七宝の塔が現れ、その中から大きな音量で「素晴らしい!釈迦牟尼しゃかむに世尊せそんよ、よく法華経を大衆の為に説かれた。その通りである。説かれたことは全て真実である!」と、褒める声がありました。

 それを聞いた皆を代表して大楽説だいぎょうせつ菩薩から問われたお釈迦さまがこの塔のことを答えました。「この塔は遠く離れた仏国土からやってきた。塔の中に多宝たほう如来という仏がいる。この仏は法華経が説かれた時、そこへ現れて、これを聞き、褒め讃えると誓われたお方だ。」

 大楽説菩薩の多宝如来に礼拝したいとの願いに応じ、お釈迦さまは空中に浮かび、この塔の扉を開きました。多宝如来は塔の中から、自らの獅子座の半分を譲って、座られるよう言われました。お釈迦さまはこの塔に入り、半座に座られました。大衆は二仏が高く遠い座に並んで座られているのを見て、もっと近くでお目にかかりたいと、願い、お釈迦さまは神通力で大衆を浮かべ、空中に留められました。

 そして、誰かこの娑婆世界で法華経を説く者はいないか。間もなく仏(お釈迦さま)は涅槃(人の姿としての死)に入る。この法華経を託し、この世界に保たせたいと願う。と、お釈迦さまはおっしゃられました。

 

第12:提婆達多品(だいばだったほん)

 仏はお告げになりました。「私は過去世において、王であった時、阿私あしという仙人に法華経を説いて頂いた。仙人は今の提婆達多だいばだった(釈迦の弟子ながら釈迦を殺そうとした大悪人)である。提婆達多が導いてくれたおかげで私は仏になれたのだ。提婆達多は遠い未来世において、天王てんのう如来という仏に成るであろう。と授記を与えました。

 この時に多宝たほう如来に付き従って来ていた智積ちしゃく菩薩が多宝如来へ本土に帰りましょうと言いました。お釈迦さまは、ここにいる文殊もんじゅ菩薩と話をしてから帰られよとおっしゃいました。

 竜宮より来た文殊菩薩に智積菩薩は問いました。「竜宮にて教化された数はいかほどか」「無量で数えきれない」文殊菩薩は無量の菩薩を法華経で教化し、龍王の八歳の娘が成仏したといいました。智積菩薩や舎利弗は、「女の身で覚りを得るなど信じられない!」そこに現れた龍女は智釋菩薩、舎利弗らが神通力で皆が見ている間に速やかに成仏して見せました。これを見ていた一切の大衆は龍女の成仏をみて歓喜し、娑婆世界の三千の衆生が仏道を志し、未来の成仏の授記を受けました。智釋菩薩と舎利弗をはじめ、これを見ていた全ての者たちは、龍女の成仏を黙って信じ、受け入れました。

 

第13:勧持品(かんじほん)

 薬王やくおう菩薩と大楽説だいぎょうせつ菩薩と、その従者二万人は、仏の滅後に法華経を弘めることを誓いました。この世界にはまだまだ仏の教えを必要としている者が多くいるからです。その為には身命をも惜しみません!また、授記じゅきを受けた五百人の阿羅漢あらかん達も、仏の滅後に、他の国土へ行って、法華経を説きますと誓いました。八千人の学び尽くしたものや学びきれていない者たちで授記を受けた者も誓いました。「我等も他国土へ行って法華経を説きます。」

 その時、未だ授記を与えられてないことに憂いていた、仏の叔母、摩訶まか波闍波提はじゃはだい比丘尼びくにと、仏の妻で羅睺羅らごらの母である耶輪陀羅やしゅだら比丘尼にお釈迦さまはおっしゃいました。「僑曇弥きょうどんみ(摩訶波闍波提比丘尼)は未来世において、一切衆生喜見いっさいしゅじょうきけん如来という仏になるでしょう。六千人の出家女子たちも仏の智慧を得ることが出来ます。耶輪陀羅は未来世において、具足千万光相ぐそくせんまんこうそう如来という仏に成るでしょう。」授記を頂いた諸々の女子たちは、仏の滅後に他国で法華経を弘める事を誓いました。

 また、数えきれない数の偉大な菩薩たちを見て、言いました。「この菩薩たちは堕落することのない境地と、諸々の仏の力を得た。」諸々の菩薩たちは、仏の滅後に法華経を弘めると誓いました。そして願わくは仏も遠くであってもお守りくださいと願いました。

 

第14:安楽行品(あんらくぎょうほん)

 文殊師利もんじゅしり菩薩は仏に言いました。仏の滅後に諸菩薩はどのように経を説くと良いでしょう。仏は答えました。

 第一に、菩薩は忍耐強く、穏やかで、浅はかな考えをしない。権力や邪教、娯楽、猟・漁をするものに教えを説く事はあっても、親しく近づいてはならない。女人に対し欲想を取り除き、親密な交際をしてはならない。

 第二に、人や経典の過ちを説いてはならない。他人の長所欠点を説いてはならない。名をあげて過ちを説いたり、逆に美点を褒めたたえてはならない。

 第三に、全ての衆生に大慈悲を起こし、諸仏に対しては父のような思いを持ち、菩薩に対しては師のような思いを持て。

 第四に、どんなに衆生が教えを信じなくても、自分が覚りを得たならば、必ずこの者達を教化すると誓いなさい。

 そして仏は(法華七喩髻中明珠けいちゅうみょうしゅの譬えをもって説きました。ある王が兵士達の勲功に従って、土地や宝物や召使いなど賞を授ける。王の頭上に髪で結ってある宝玉だけは唯一与える事は無い。唯一無二の大宝だからだ。

 如来も同じである。諸々の大衆の為に法を説くが、最高の法、妙法蓮華経を説く事はない。しかしついに今この妙法蓮華経を説くのだ。これは王が手放さなかった頭上の宝珠を与えるようなものだ。今まで決して説かれなかった最高の法を、今日初めてお前たちの為に説くのだ。

 

第15:従地湧出品(じゅうじゆじゅつほん)

 数えきれない程の菩薩たちが仏の滅後の娑婆しゃば世界での法華経弘通ぐづうに名乗り出ました。お釈迦さまはこれらの諸菩薩に言いました。「お前たちはこの経を護持ごじしなくてもよい。この娑婆世界にはお前たちの他に数えきれない菩薩たちがいる。この者達が仏滅後の娑婆世界で法華経を説くだろう。」すると大地が振動し裂けて、中から無量の大菩薩たちが涌き出てきた。この諸菩薩の中に名を上行じょうぎょう無辺行むへんぎょう浄行じょうぎょう安立行あんりゅうぎょうという四人の導師がいた。皆お釈迦さまに礼拝し、お釈迦さまも彼らを労った。

 その時、弥勒みろく菩薩は、他の大衆の抱く疑問を代表して尋ねた。「涌出した諸菩薩は皆偉大で、多くの従者を従えている。このような大菩薩がいたとは今まで知りませんでした。この方たちはどのような方なのでしょう。」「阿逸多あいった(弥勒の別名)よ、この者達は、私が教化してきた者達だ。」「これ程の数の大菩薩を教化したとは聞いたことがありません。お釈迦さまが出家され、仏の覚りを得られてから40年が過ぎました。この40年の間にこれ程の数の大菩薩を教化し覚りを開かせられるとは考えにくい。例えば25歳の若々しい人が、百歳の人を指して我が子だと言い、百歳の人も25歳の若者を父と呼ぶようなものだ。このままでは疑いの心を起こしてしまう者もいるでしょう。どうぞ我らの疑問を解いて下さい。」

 

第16:如来寿量品(にょらいじゅうりょうほん)

 弥勒みろく菩薩の問いを受け、お釈迦さまは答えられた。「お前たちは私が出家し、ブッダガヤの道場で覚りを開いたと思っているが、実は私が仏になって以来、非常に長い時間が過ぎた。なお仏の寿命は尽きる事は無いが、あえて世を去ると言う。なぜなら仏が入滅する事がないと知れば、おごり高ぶる心、怠ける心を起こし、会い難い思い、恭しく敬う思いを生じさせない。故に実際に滅度することは無いが、世を去ると言うのだ。」

 この事を(法華七喩)「良医病子ろういびょうしたとえ」で例えました。

 ある良医に多くの子があり、遠く他国に出ているうちに子供たちが誤って毒を飲んでしまい、正気を失う者もいた。父は帰宅し、子らの為に色も香りも味も良い薬を処方した。正気を失ってない子はすぐにこの薬を飲み、病は癒えたが、正気を失ったものはこの薬が悪いもの思えて飲まなかった。父は便宜的に、自分の死期が近いと言い、また他国へ行くと言った。家を出て、父は他国で亡くなったと、子らに使者を送った。子らは亡くなってから父の有難さを感じ、正気をうしなっていた子らも良薬を飲んだため、ただちに病は癒えた。それを聞いて父は帰り、父子は再び会うことができました。

 良医は仏、子は衆生、良薬は法華経を表し、仏が衆生を救うために方便で入滅すると言うのと同じであると説きました。

 

第17:分別功徳品(ふんべつくどくほん)

 お釈迦さまは弥勒みろく菩薩に告げられた。「阿逸多あいった(弥勒)よ、仏の寿命が永遠と説いたとき、数えきれない衆生が仏の真理を得た。様々な非常に多くの菩薩たちは、様々な仏の智慧や能力を得た。」これを説いた時、天界の花が降り、諸々に香り、楽や歌が響いて祝福した。

お釈迦さまはさらに告げられた。「阿逸多よ、もし衆生が仏の寿命が永遠であると聞いて、少しでもこれを理解しようとしたならば、この功徳は限りないものである。五種の仏道修行を幾度も生まれ変わり、休むことなく続けても、この功徳に遥か及ばない。阿逸多よ、もし寿命が永遠であると聞いて、これを理解するものがいたら、その功徳は無量であり、仏の智慧を起こす。阿逸多よ、この様に仏法に帰依した者は、諸仏の為に大きく高い七宝しっぽうの塔を建て、種々に供養したのと同じである。阿逸多よ、もし仏がこの世を去った後にこの経を聞き、心に刻み、これを書き、人にも書かせる者は塔寺を建て、僧房を作り、衆僧を供養したものと同じである。さらに六種の仏道修行をするならば尚更のことである。阿逸多よ、仏の滅後にこの経を信じ、読む者はこのような様々な功徳を得る。阿逸多よ、これらの人々が修行する所には塔を建てなさい。この塔を仏の塔と同じように供養しなさい。」

 

第18:随喜功徳品(ずいきくどくほん)

 お釈迦さまは弥勒みろく菩薩に、法華経を聞いて喜ぶものはどれ程の功徳かと問われ、お答えになられました。

 「阿逸多あいった(弥勒)よ、ある人が生きとし生ける者の為に欲するだけの娯楽、珍宝、象、馬、乗り物、宮殿楼閣を与え続け、この大施主が死に臨んで、これら衆生を集め、教え導き、阿羅漢あらかんという修行者の最高の成果を得させた。この施主の功徳はどれほどか。」

 弥勒菩薩は「甚だ多いです。衆生の為に様々に施すだけでも大功徳であるのに、阿羅漢に導いたとなればその功徳は計り知れません。」と答えましたが、お釈迦さまはそれを受けて説かれました。

 「この施主の功徳は、法華経を聞き喜び、他に伝え、伝言ゲームの要領で50番目に聞いて喜んだ者と比べても、その功徳は遠く及ばない。ましてや初めに喜んだ者の

功徳は計り知れない。

 また阿逸多よ、この経をほんの少しでも聞いたならば、また、この経を聞く席に他の者を勧め、共に聞いたならば、あるいは、この経を聞こうと他のものを誘ったならば、何度生まれ変わっても最高の生を受ける。

ましてこの経を一心に聞き、よく読み、唱え、他の者にも教え、経の内容の通りに修行する者は、いうに及ばない程である。」

 

第19:法師功徳品(ほっしくどくほん)

 お釈迦さまは常精進じょうしょうじん菩薩(菩薩の名はその役割や性質を表す。常精進菩薩は常に他の人の為の修行に精進する菩薩。)に、法華経を受持じゅじ(大切に受け保つ)、どく(読む)、じゅ(唱える)、解説げせつ(よく理解する)、書写しょしゃ(書き写すなどして他に弘める)の五種法師ごしゅほっしという、仏道修行法の功徳について告げられました。

 法華経を受持し、読、誦し、解説し、書写したならば、この人は八百の眼の功徳、千二百の耳の功徳、八百の鼻の功徳、千二百の舌の功徳、八百の身の功徳、千二百の意の功徳を得る。その目は一切の衆生、一切の世界を見通し、善悪の因縁とその報いを見、そのすべてを知るだろう。その耳は仏の声をはじめ、全ての世界の全ての衆生の声を聞き、その全てを知るだろう。その鼻は天界の花々や、お香など、全ての芳香を嗅ぎ、嗅ぎ分けることが出来る。その舌は全てのものを甘露の味に変え、発する言葉は心地よく、演説は皆歓喜する。その身は美しく清らかになり、世界中がその身に反映され現れる。その意識は清らかになり、一を聞けば無量無辺の意味を得るだろう。

 この人の考え、説く事はすべて仏の教えであり、真実であり、過去の仏が説かれたことだ。

 

第20:常不軽菩薩品(じょうふきょうぼさつほん)

 お釈迦さまは得大勢とくだいせい菩薩(智慧の光で衆生を救うの意。慈悲の観音かんのん菩薩と共に阿弥陀あみだ如来の脇侍わきじ。)に告げました。

数えきれない程遠い昔に威音王いおんのう如来という仏がいました。この仏の滅後、500年後の時代に常不軽菩薩という菩薩がいました。この菩薩は人々を見ては、深く礼拝し、「私はあなたを敬います。なぜならあなたは仏に成る方だからです。」と言いました。高慢こうまんな出家者たちは「お前に言われる筋合いはない!」と口汚く罵り、更には杖や木で打ち叩き、瓦や石を投げつけました。それでもなお大声で同じ様に言い続けました。

 常不軽菩薩の命が尽きようとした時、虚空こくうの中から威音王仏が現れ、法華経を説かれました。常不軽菩薩はこれを恭しく拝受し、様々な迷いから解き放たれ、広く人々の為にこの法華経を説きました。彼は多くの仏に会い、功徳を成就して仏に成る事を得ました。

 得大勢よ、この常不軽菩薩は私自身(お釈迦さま)なのだ。常不軽菩薩をさげすんだ者は幾度も生まれ変わり大きな苦悩を受けた。そして罪を償い終え、今仏となった私の前に居る。得大勢よ、この法華経は最高の仏の智慧に導く。故に、この経を信じ、読み唱え、理解し、皆に弘めなさい。

 

第21:如来神力品(にょらいじんりきほん)

 お釈迦さまは諸々の仏と共に、文殊師利もんじゅしりなどの無量の菩薩をはじめとした多くの衆生の前で、広く長い舌を出して遥か大梵天の世界に到達させ、全身から光を放って世界中を照らし出し、指を弾いて鳴らせ、大地を震動させるなどの不可思議な力を示された。

 その時に仏さまは上行らの菩薩たちに告げられた。「諸仏の神通力はこのように無量無辺で不可思議である。しかしこの神通力をもってしても法華経の功徳を説きつくす事はできない。要点を言うならば、仏の一切の教えや、仏の自在の神通力、仏の重要な事柄が、この経に示され説き明かされている。ゆえにこの教えを大切に守り、よく読み唱え、意味を理解し、書き写して後世に残し、書かれている通りに修行し、経巻を安置する場所はたとえ公園の中でも、たとえ林の中でも、たとえ木の下でも、たとえ僧侶の家でも、たとえ一般の家でも、たとえ仏閣でも、たとえ山、谷、広野でも、(どのような所でも)塔を建てて供養しなさい。

なぜならばその場所は諸仏が阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだいという仏の智慧を得、得た智慧をそれぞれ教え合い、より高い成仏の段階へ進む道場だからです。」

 

第22:嘱累品(ぞくるいほん)

 お釈迦さまは、大菩薩たちの頭を撫で、おっしゃられた。「私は数えきれない程永い時をかけ、仏の最上の智慧を習得した。今からこれをお前たちに委ねる。一心にこの教えを皆に伝え、その利益を広めなさい。この教えをいつまでも大切にし、よく読み唱え、広くこの教えを告げ知らせて、生きとし生けるもの全てに聞かせ知らせなさい。お前たちもまた仏の教えを学びなさい。もし未来世に仏の智慧を信じるものが居れば、惜しむことなく、彼らのためにこの法華経を演説して、聞き知る事が出来るようにしなさい。お前たちがもしこのようにすれば、それはすでに仏の恩に報いることだ。」

 これを聞いた諸々の大菩薩たちは大いに喜び、益々恭しく敬い、お釈迦さまに対し声に出して三度おっしゃられた。「お釈迦さまのご命令のように、そのお教えの細部に至るまで従い、実践致します。どうぞご心配あられませぬように。」そしてお釈迦さまは、「もう心配ありません。遠くから来られた諸々の仏さまたちはいつお帰りになられても結構です。」とおっしゃられた。

 これを聞いた諸々の仏、菩薩、声聞縁覚、及び全ての天人、人間、阿修羅らは、お釈迦さまの説かれたことを聞いて大いに歓喜した。

 

第23:薬王菩薩本事品(やくおうぼさつほんじほん)

 お釈迦さまは宿王華しゅくおうけ菩薩に、薬王菩薩について問われたので、それにお答えになった。「計り知れない程の昔、日月浄明徳にちがつじょうみょうとく如来という仏がいた。その仏国土の中に一切衆生いっさいしゅじょう喜見きけん菩薩という菩薩が居た。この菩薩は如来の説いた法華経を聞いて感謝し、身をもっての供養に越したことは無いと、自ら香油を飲み、如来の前で自分自身に火をつけ、千二百年もの間世界中を照らし続け、命尽きた。この菩薩は生まれ変わってもまた同じ仏国土に生まれた。この菩薩は如来の入滅後、自分の腕に火をつけ、七万二千年もの間供養し、非常に多くの人々に仏心を起こさせた。人々は腕のない菩薩を悲しんだが、この菩薩の福徳・智慧が厚かった為、両腕は復元し、世界中が喜びに打ち震えた。」

 お釈迦さまは宿王華菩薩にこの菩薩が今の薬王菩薩であると告げた。「その身をもって供養するものは、どのような豪華な宝で供養する者にも勝る。法華経こそが諸経の王である。法華経は一切の衆生を救うものである。宿王華よ、お前にこの本事品弘通の使命を与える。この教えを広く行き渡らせ、この経を守護せよ。この経は人間界の病の良薬だからである。病を得た者も、この経を聞けば病は消滅し不老不死となる。」

 多宝たほう如来は、この問いで衆生に利益を生じたと、宿王華を褒め讃えた。

 

第24:妙音菩薩品(みょうおんぼさつほん)

 お釈迦さまは眉間から光を放ち、浄華宿王智じょうけしゅくおうち如来にょらいという仏がいる浄光荘厳じょうこうしょうごんという世界を照らし、その国の妙音という菩薩を照らし出した。妙音菩薩は浄華宿王智如来に、娑婆しゃば世界へ行き、釈迦牟尼仏に礼拝したいと申し出、四万八千の菩薩と共に娑婆世界に出発した。経由した諸々の国は六種に振動し、蓮華を降らし、様々な楽器が鳴り響いた。そしてお釈迦様と多宝たほう如来の前に現れ、礼拝する姿を見ていた華徳けとくという菩薩はお釈迦さまに妙音菩薩のこの素晴らしい神通力はどのように得たのか尋ねました。「過去に雲雷音王うんらいおんのう仏という仏が居た。妙音菩薩は一万二千年の間、この仏を供養し、四万八千の七宝の鉢を献上した。この前世の良い行いの結果、今の国に生まれ、超人的な力を得たのだ。妙音菩薩はこのように数々の仏に会い奉った。そして様々な所で諸々の衆生の為に経典を説いている。相手が望む者の姿となってこの経を説く。娑婆世界以外の世界でも、同じように様々な姿で経を説いた。

 華徳よ、妙音菩薩は現一切げんいっさい色身しきしん三昧さんまいという能力で衆生を救い、願いをかなえた。」この妙音菩薩品が説かれたとき、妙音菩薩と共に来た八万四千人は皆現一切色身三昧を得て、お釈迦さま、多宝如来を礼拝し、文殊もんじゅ薬王やくおう得勤精進力とくごんしょうじんりき勇施ゆうぜらの菩薩に会い、本土に帰られた。

 

第25:観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)(観音経)

 無尽意むじんに菩薩に観世音菩薩について問われたお釈迦さまは言いました。

 「もし諸々の衆生が、観世音菩薩(観音かんのん)の名を一心に唱えれば、観音はその声をかんじて、皆の苦悩から解き放つであろう。観音の名を大切に守る者は、大水に流されても、すぐに浅いところに出るだろう。もし羅刹鬼らせつきの国に漂着しても、羅刹鬼の難から逃れられる。もし刃傷沙汰にんじょうざたになっても、その刀や杖が折れ、逃れる事が出来る。もし害をなそうとする者が来ても、悪事をなす心が無くなってしまう。もし無実の罪で繫がれたとしても、刑具は壊れ、逃れる事が出来る。もし盗賊に狙われた商人の一団が共に声を発して「南無なむ観世音かんぜおん菩薩ぼさつ」と唱えれば、この難から逃れられる。もし色情の欲や、怒り、恨みの心、無知で愚かな心を持つ者も、観音に敬いの心を持てば、これらの念から離れられる。男の子供が欲しい親には福徳と智慧のある男の子を、女の子供が欲しい親には美しく皆に愛される女の子を授ける。無尽意よ、観音にほんの一時でも礼拝、供養したものは、計り知れない功徳を得るのだ。」

 「観音は、仏や神々の姿、王や長者の姿、僧の姿、女性や子供の姿、神々の使いの姿、人に非ざる姿など、相手に応じて姿を変えて法を説く。このように種々の形となって様々な場所で衆生を迷いの世界から救済するのだ。」

 

第26:陀羅尼品(だらにほん)

 薬王やくおう菩薩は座から立ち上がり、法華経を説く者を守護する誓願を立て、呪文を説きました。「あに、まに、まねい……」「もしこの仏道を説く者に危害を与える者がいれば、諸仏に危害を与えるのと同じです。私はこの者を守り、そんなことはさせません。」お釈迦さまは薬王菩薩を褒め讃えた。「素晴らしい!素晴らしい!薬王よ、諸々の衆生の為に良い利益が多くあるだろう。」

 勇施ゆうぜ菩薩もお釈迦さまに仏道を説く者を守ることを誓いました。「この呪文で様々な鬼たちはこの法師に手出し出来ません。」「ざれい、まかざれい……」

 さらにこの世界の守護者、毘沙門天びしゃもんてん王も誓い、呪文を説きました。「あり、なり、となり……」「仏道を説く者を守り、苦しみが無いようにします。」

 持国天じこくてん王も、誓いました。「あきゃねい、きゃねい……」

そして十人の羅刹女らせつにょたちは鬼子母神きしもじんらと共に、仏道を説く者を守護し、その苦しみを除かんと誓いました。「いでいび、いでいみん、いでいび、あでいび……」「我ら羅刹女も、この法師ほっしを守り、心の安寧あんねいを守り、世の苦しみから離れさせ、諸々の毒薬を消し去ります。」

 この陀羅尼品が説かれた時、六万八千もの人が、一切のものが生じることも滅することもない常住不変であるという真理(無生法忍むしょうぼうにん)を得ました。

 

第27:妙荘厳王本事品(みょうしょうごんのうほんじほん)

 お釈迦さまは諸々の大衆にお告げになりました。

 「はるか昔、光明荘厳(こうみょうしょうごん)という国に雲雷音宿王華智うんらいおんしゅくおうけち如来という仏がいました。その仏の世界に妙荘厳みょうしょうごんという王と浄徳じょうとくという王妃がり、浄蔵じょうぞう浄眼じょうげんという二人の子がおりました。仏(雲雷王宿王華智如来)は妙荘厳王を仏の道に導く為法華経を説かれました。浄蔵・浄眼の二子は母に、これを聞きに参拝しましょうと言いました。二子は、仏教を信じていない父の前で様々な神通力を見せ、説得し、王は、多くの群臣眷属と共に、浄徳夫人は後宮の女官や配下の者と共に、王の二子は四万八千人の人々と共に、仏のもとへ教えを請いにやって来ました。仏は王に教えを説き、王は大いに歓喜し高価な真珠の首飾りを解き、仏の上に散じました。仏は言いました。『私の前で合掌している妙荘厳王は、婆羅樹王しゃらじゅおうという名の仏になるであろう。』それを聞いた王はすぐに国を弟に託し出家し、仏に言いました。『我が二人の子は様々な能力で私を仏道に導いてくれました。』仏は『その通りである。善根を植えたものは、何度も生まれ変わり、仏道へ導く縁を持つ者になる。』と言いました。」

 語り終えたお釈迦さまは、聞いている大衆に告げました。「妙荘厳王とは今の華徳けとく菩薩である。浄徳夫人は今目の前で照らし出されている荘厳相しょうごんそうを持つ菩薩である。二人の子は今の薬王菩薩、薬上菩薩なのです。」

 

第28:普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつかんぼつほん)

 お釈迦さまは普賢菩薩に、「諸仏に守護され、善根功徳ぜんこんくどくを積み、悟りを求める良い仲間と共に、一切衆生を救う事を決心しなさい。そうすれば仏の滅度の後に仏の教えに出会うことが出来るでしょう。」と説きました。

 普賢菩薩はお釈迦さまに「仏の教えを大切に守り、よく読み唱え、理解しようと励み、他の者へ伝える法華経の行者の元に、私は白象に乗って姿を現し、この行者を護り、修行を助け、邪魔者を排除します。」と言い、呪文を説いて誓いました。「この呪文を聞く者は、普賢の力を得る。仏の教えを守る行者は諸仏に愛され、死後も天上世界の弥勒みろく菩薩の所へ行ける。この様な行者を普賢の神通力で守護し、その教えを広めて参ります。」お釈迦さまは普賢菩薩を褒め讃えました。「素晴らしい!普賢よ、お前はよくこの教えを守護した。私も普賢の意思を守護しましょう。この教えを守る者は様々な功徳を得る。そしてその行者に悪意を向ける者は、何度生まれ変わろうとも、様々な災いに蝕まれるであろう。この教えを大切に守る者は仏を敬うがごとく敬いなさい。」この教えが説かれた時、数えきれない菩薩が普賢菩薩の境地まで悟りを得、数えきれない菩薩や人々や、人に非ざる者たちは大いに喜び、礼拝し、仏の言葉を忘れぬよう大切に持ち帰った。