四苦八苦

四苦八苦しくはっくとは元々仏教語(後述)だが、現在ではもっと手軽に「大変な苦労」として使われている。

(例1)新製品を開発するのに四苦八苦した。

(例2)四苦八苦してようやく山頂にたどり着いた。

(例3)会社の経営状態が良くないので、金策に四苦八苦している。

 

本来は仏教語であり、四つの苦しみである四苦しくとさらに四つの苦しみを合わせて八苦はっくといい、

四苦八苦と言っても、4+8=12苦という訳ではない。

四苦とは、しょう苦・ろう苦・びょう苦・苦の四つの苦しみをいい

これに愛別離苦あいべつりく怨憎会苦おんぞうえく求不得苦ぐふとくく五蘊盛苦ごうんじょうくの四つの苦を加えて八苦という。

 

■四苦

 うまれること。この世に生まれ、生きる事が苦しみである。

 老いること。体力気力が衰え、知人とも死別していき孤独になる。

 病の苦しみ。様々な病気。痛みや肉体的苦しみを伴う。

 死ぬことの苦しみ。自分の人生の無意味さを感じる。未知なる死後の世界への恐怖。

 

■八苦

愛別離苦 愛する者と別離する苦しみ。

怨憎会苦 怨み憎む者と会う苦しみ。

求不得苦 求める物が得られない苦しみ。

「世の中は 一つかなえばまた二つ 三つ四つ五つ 六つかしの世や」

五蘊盛苦 五蘊(肉体と精神)が思うままにならない苦しみ。執着から離れられない苦しみ。

 

特に分かりにくい五蘊盛苦の解説

五蘊盛苦、五蘊苦ごうんくとは、仏教の説く四苦八苦の一つ。釈迦は初転法輪しょてんほうりんにて五比丘ごびくに五蘊苦を説いた。

元のパーリ語から訳すと、「五つの要素に執着する苦しみ」というのが原文の意味である。

漢訳の五蘊盛苦では「盛」に「執着する」という意味が感じにくく、原文のニュアンスが伝わりにくい訳となっている。

「盛」とは「皿いっぱいにものを乗せる」意味があるので、「五つの要素を皿いっぱいに盛りたくなる(執着する)苦しみ」

「五蘊を盛りすぎる苦しみ」とすれば分かりやすいかもしれない。

 

もともとの釈尊のパーリ仏典で言っているのは、五つの要素(五蘊)、つまり色・受・想・行・識(身体・感覚・概念・心で決めたこと・記憶)のそれぞれに執着することが苦しみと説いているのであり、この五つの要素そのものが苦だと説いているわけではない。

自分自身が生きている(心身の活動をしている)だけで苦しみが次から次へと湧き上がってくることであり、五蘊とは以下の五つを指す。

 

しき =すべての物質を指し示す。この場合、「身体」機能が活発であるために起こる苦しみ

しゅ =物事を見る、外界からの刺激を受ける「心」の機能

そう =見たものについて何事かをイメージする「心」の機能

ぎょう =イメージしたものについて、何らかの意志判断を下す「心」の機能

しき =外的作用(刺激とイメージ)、内的作用(意志判断)を総合して状況判断を下す「認識作用」の機能

 

つまり

色 = 美しい自分でいたい(美しくいられない)

受 = 羨望の目で見られていることを感じたい(見てくれない)

想 = 美しいと思われるためにはもっと痩せるべきだ(なかなか痩せない)

行 = 痩せるためにはダイエットしよう(誘惑に負けてしまう)

識 = ダイエットして手に入れた美しい体を褒めて欲しい(頑張ったのに褒めてくれない)

 

要約すると「生きている中での様々なこと(五蘊)が思うようにいかない(盛)苦しみ(苦)」